軍隊をもたない国 コスタリカ 歴史に注目して

コスタリカ

2024年9月23日 21:11

本記事はまじめ系記事です。コスタリカは軍隊を持たない国で、生物多様性の宝庫として知られています。また、中米一最低賃金が保障されている高福祉国家でもあります。軍隊を持たないでどのように国家の安全を保っているのでしょうか。またラテンアメリカはアメリカの裏庭ともいわれています、様々な動きに振り回されます。また社会主義国家のニカラグアとも国境を接している中、様々な思惑や動きがある中どのように乗り越えてきたのでしょうか。本記事ではコスタリカの歴史を取り扱います。

コスタリカの憲法は軟性憲法(改正条件はやわらかい)


コスタリカの憲法は軟性憲法のため、硬性憲法である日本より憲法改正の条件は厳しくありません。もっというと、国防や大陸間協定のためには軍隊をもつことを認めています。それでもこの憲法12条は形を変えず残り、また軍隊をもたずに様々な荒波を乗り越えてきました。

原文はこちら
Se proscribe el Ejército como institución permanente. Para la vigilancia y conservación del orden público, habrá las fuerzas de policía necesarias. Sólo por convenio continental o para la defensa nacional podrán organizarse fuerzas militares; unas y otras estarán siempre subordinadas al poder civil; no podrán deliberar, ni hacer manifestaciones o declaraciones en forma individual o colectiva.
 在コスタリカ日本国大使館訳はこちら
コスタリカ憲法第12条
「恒久制度としての軍隊を放棄する。公共秩序の監視と維持のため、必要な警察力を保持する。ただ大陸間協定もしくは国家の防衛のためだけに、軍隊を招集することが出来る。いずれの場合も、それらは常に文民の権限に属する。単独でも共同でも、審議すること、声明を出すこと、宣言を出すことは出来ない」 

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 背景としてコスタリカの近代史についてふれ、憲法成立までの流れをこの記事では記述します。

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コスタリカと近隣諸国の位置関係 
出典 https://diamond.jp/articles/-/309397

これといった特産物もなく端に位置していたコスタリカ

 人が住み始めたのは約1万2千年前にコスタリカ地域にモンゴロイドたちがたどり着いてからだといいます。マヤやアステカに代表されるメソアメリカ文明、ナスカやインカに代表されるアステカ文明などに影響されつつも、つつましやかな生活を送っていました。
 1502年のコロンブスの来航で事態は一変し、先住民は奴隷として酷使されたり、持ち込まれた伝染病により激減したとのこと。この地ではヨーロッパ人が探し求めていた黄金はほとんど採掘されなかったのに加え、また、当時グアテマラが中心に支配をされていたため、コスタリカは中心から離れた最も端に位置していました。土地もやせていて鉱物も出ない辺境の地で目立った産業をもたなかったわけです。
 1821年に独立した際もコスタリカの人々は独立線背負うに積極的に参加したわけではなく、独立もグアテマラからの使者が知らせにきたいか月に知りました。独立後もこれといった産業がなかったが、政府はコーヒー栽培を奨励し、生産は飛躍的に向上しました。
 1856年から57年にかけて、当時ニカラグアに米国人でありながら就任したウォーカーの侵略がありましたがこれをニカラグアを除く中米4か国連合で対抗し、その時にコスタリカ「唯一」といっていい「軍事的英雄」フアン・サンタマリアが功績を遺しました。

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グアテマラ統領府(Kingdom of Guatemalaの端に位置していたコスタリカ)

軍隊廃止の理由は「平和のためだけなのか?」

 1948年に軍隊の廃止を提言したのはフィゲーレスでしたが彼自身は内戦に大きく関わった人物でもあります。当時「カルデロン氏」と「ウラテ氏」が大統領選挙結果をめぐる結果でもめていました。選挙管理委員会はウラテの当選を認めたが、国会でカルデロンが当選ということが無理矢理通り、そこで武力蜂起し、政府与党を武力により追い払うことに成功した中心こそフィゲーレスです。
 その後、「ウラテ」は自分が正式な大統領と考えており、「フィゲーレス」は自身が国の混乱をしずめたので自身が国のトップと考えていました。政治思想は違ったもののさらなる混乱をさけるため、18か月のフィゲーレスの統治のあと、ウラテがおさめることに決定。そのフィゲーレスが軍隊放棄を宣言することに。

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フィゲーレス自身は軍事力をつかっていた

フィゲーレスのスピーチ 1948年12月「軍隊をもたない」

 1948年12月1日フィゲーレスは集まった人々に対して次のように演説しました。
「コスタリカの常備軍、国民解放軍の威厳ある後継者は本日、本要塞を文化センターに衣替えさせるため、そのカギを学校に手渡す。我々の国家安全保障のためにはしっかりと組織と警察があれば十分であることを考慮して、国軍を解体することを公式に宣言する。」

さらにこのように続く
「私たちはアメリカ大陸における新しい世界の理想の確固たる支持者である。ワシントン、リンカーン、ボリバルとマルティの祖国に対して本日我々はいいたい。おおアメリカよ! 小さなコスタリカは今もそしてこれからも、永遠に、心から、市民主義と民主主義に対する愛をあなたに捧げよう!」

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 アメリカの掲げる民主主義のモデルを中米で体現していくコスタリカ、アメリカ万歳のスピーチともみえるが今後戦略的に関係をつくっているところを追っていくとさすがと思わされる面が多い。

スピーチ全文(スペイン語)
 https://elespiritudel48.org/abolicion-del-ejercito/

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上記リンクには音声も残されている

参考文献

足立(2018)常備軍なきセキュリティ・ガヴァナンス ─コスタリカの事例─,立命館国際研究 30-4,March 2018
https://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/30-4_01_adachi.pdf

足立(2009)丸腰国家―軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略― (扶桑社新書 47) 新書 – 2009/2/27

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