インカ帝国の首都であったクスコはペルーで唯一無二の観光地。マチュピチュ遺跡はインカの貴重な遺跡として世界中から旅行者がやってきます。本記事ではインカ文明とマヤ、アステカとの違いとインカ帝国の統治のしくみと文化について記述したいと思います。
インカ文明とは?マヤ文明とアステカ文明との違いは?
インカ帝国は南米、マヤ文明は中米、アステカ文明は北米(メキシコ)
まず一つのポイントは中心となった場所です。インカ帝国はペルーのクスコを中心(南米)とした帝国でマヤは現在のメキシコからグアテマラにまたがる地域(中米)、アステカ文明はメキシコ高原を中心(北米)に広がった文明です。
時期はマヤ文明が最も古く、ついでアステカとインカ
マヤ文明の最盛期は2世紀~12世紀あたり、アステカ、インカは13-16世紀。マヤが衰退したのち現在のメキシコあたりに台頭してきたのがアステカ帝国で、スペイン人が侵略にやってきたときに実際にスペイン人と対峙したのがアステカです。インカはピサロを中心としたスペイン人に攻め滅ぼされてしまいます。
インカ文明は文字をもたない
インカ文明は高度な文明でありましたが、文字は使われていませんでした。使われていたのは結び目を使って数などを記録する「khipus(キープ)」と呼ばれるひも。王や役人は人民の統治に必要な情報などをキープに記録し、その作製および解読を行うキープカマヨック(キープ保持者)と呼ばれた役人が読み取ることができました。
マヤやアステカはそれぞれ文字が発見されています。
アステカ文字は、記号化された絵と象形文字の2つの部分から構成されています。
インカ帝国統治の方法
貨幣は存在せず税金は労働ではらう
インカ帝国の王はその権力をどのように威信したのか、それは「労働力を動かせる存在」というものである。人民は数か月の工事をすることで税を納めていた。貿易は存在せず、生産や流通に関してはインカ政府によって管理されていたと考えられています。いわゆる社会主義的な国家で住民間で大きな格差はなかったようです。
道路工事や、建物の建築、農業などに人々は従事しました。
インカ帝国の正式名称は「タワンティン・スーユ(4つの地方からななる都市)」
インカ帝国の基本単位はアイユ(集落)で、各地の共同体によって構成されていました。アイユが集まってサーヤ(郡)を、いくつかのサーヤが集まってワヌン(県)を、ワヌンが一つになってスーユ(地方)を構成しています。アイユ単位で農業、工事、家畜の管理などをしていました。
なお、「インカ帝国」というのはスペインの入植者の呼び方で、本来は「タワンティン・スーユ(4つの地方からなる都市)」が正しいとのこと。
リマの新鮮な魚が2日で首都クスコに届いた
整備された道路が張り巡らされた様子にスペインの入植者たちも驚いたようです。この交通網をいかしたのが日本の飛脚に似た存在の「チャスキ」。機敏で高度な訓練を受け身体的にも優れた彼らは、連絡役になったり物品を運んだりしていました。この交通システムで海沿いの新鮮な魚からアマゾンのふんだんなフルーツが新鮮な状態でクスコに届いていたようです。
黄金のインカ帝国であったが金は金融システムとは別の存在だった
インカ帝国では金が多く採掘されたため、黄金を使った飾りなどがあったが、人々は金は大切にはしていたものの金融システムとは別の物として扱っていたようです。それを悲しいことにスペインの入植者たちは根こそぎ破壊し、溶かし、金の延べ棒にして奪っていきました。
太陽信仰と宗教行事
八百万の神々に近い感覚をもつインカの人々は、自然に対して畏敬の念をっもっていた。特に太陽が特別なものと考えられ、夏至にあたる時期はインティライミという太陽の祭りが盛大に行われた。マチュピチュや、オリャンタイタンボ遺跡など、夏至と冬至を正確に測ることのできるように建築されており、天文学分野も発達していたと思われます。
自然崇拝と生贄のシステム
自然と共に生活をしていたインカの人々、当然コントロールできるものではないので雨が降らないときや、国家の危機には貴重な何かを神にささげるというシステムがあった。それは手をかけてつくった布製品であったり、貴重な家畜であったり、時には若い女性や子どもが生贄として捧げられることも多々あったようです。
自分や一族は死後も幸せになれるという感覚が一部あったようです。
標高3000mを超える山に段々畑をつくる技術力
クスコや周辺の遺跡を訪れると、断崖絶壁を段々畑にかえて、農地にしている遺跡を多数見る。
大の酒好きインカの人々 とうもころし酒「チッチャ(Chicha)」
インカの人々はチッチャ(あるいはチチャ)というとうもころし酒が大好きで農作業前にしこたま飲んでから作業していたようです。チッチャは口かみ酒。映画「君の名は」でも出てきたアルコール醸成の方法で原料となる穀物を口の中で噛み、それを出し容器に貯め、放置して造るお酒のことです。これのトウモロコシバージョン。
これをつくるのが当時の女性の大事な役割でした。
おわりに
文字をもたない文明であった上に、欲に目のくらんだスペインの入植者の破壊行動によって、謎のままになっている部分が多いインカ文明。広大な土地を統治し、都市システムも高度なものなのは疑いの余地はありません。
訪れる際はぜひ事前知識を入れておいて周るのをおすすめします。
こちらの本を滞在中にKindleで購入しました
こちらも出版年は古いですがよくまとめられています。上のを最新の研究として、下のを概要理解として読まれるとよいかと思います。
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